写真は、この日は11日で月命日のため、14時46分の黙祷の様子です。
3日目のふくしま会議は分科会に分かれての会議となりました。
FKPもメンバーごとに手分けして参加しました。
各分科会では昨年にひきつづきの参加者や今年新たな参加者などもおり、
議論の内容が高度になっているのがすぐにわかりました。
とある分科会では、「わたしは福島県外から来たいわば部外者。
部外者からあえて言わせてもらうと福島県はすごい。すごいとしか言いようがない。」という発言があり、
個人的にですが感慨深いものがありました。
わかもの会議ではワールドカフェ方式でグループセッションが行われ、有意義な時間となりました。
スカイプで京都の学生ともふくしま会議。
京都の学生「1年に一回ではなく、少人数でも開催するべきだと思う。」と。
みんなで考えたフキダシを使って集合写真。
福島インターネットテレビジョン(http://www.fukushima-itv.com/)の二人からインタビューされました。
いよいよ最後の総括セッションです。
冒頭で、わかもの会議の総括をと。
若もの会議運営代表
「去年は参加された方がどういう状況なのかというのを共有できたということに一番の意義があった。今年は次のアクションをどう行なっていくかを話し合ってみました。それぞれのグループでつながれた人たちが、今後どうなっていくのか、どうしていくのかということを、みんなで支援していくことが、今後につながるし、未来の宝にもなるのかなと思います。」
と、せっかく若者がまとめたのに、「具体的にどういうことやろうってなったの?」と赤坂さん。と同時に会場が沸いたので茶化しているかのようにみえましたが、赤坂さんは会議主体として具体性が純粋にほしかったのだと思う。
そして別の若者には、感想を無茶振り。
「それぞれの個人がいろんな団体で動いてる方だった。みんなつながりは持っていると思います。それを深めていく機会はこれまでなかったとおもいます。どういうところで行き詰まったかを話会える場所を作るのが大事だと思った。」
でもちゃんと答える若者はすばらしかった。
そしてふたたびピーチハートをクローズアップ。
その後、会場から今後のアクションプランを聞かせてほしいと。
その中で「会津木綿を使って内職のお仕事をしてもらってネット販売させてもらっている。」といった「iie」さんなどなど。たくさんの方がアクションプランを披露してくださいました。
そして、おもむろに、赤坂さんが次のツイートを読み上げる。
この会議って聞いてると横殴りの風の中で歩いてる気がしてくる ( #fukushima2012 live at ustre.am/Qhw6)
— tossさん (@tossact) 11月 11, 2012
そして、「僕らはまさに横殴りの風の中を歩いてるんだなぁ。」とつぶやく赤坂さん。
※ツイッターをやる人はぜひこちらをごらんいただきたい。
赤坂さんはなんらかのてごたえを感じた風な満足げな表情を浮かべて言いました。
「福島は新しい社会を作らないと生き延びられない事態になっている」
「福島ははじまりの場になる」
「会津の動きは自由民権運動だと思う。」
子どもたちの未来のために 未来の子どもたちのために
こうかかげたスローガン。トップバッターであった相馬高校放送局の彼女の言葉がのしかかる
「大人と子どもも悩みは同じだから、切り離さないでほしい。大人も、むかしは子どもだった。その頃に考えていたことを思い出して」
彼女たちを応援する方法は、彼女たちの声をほかの方に伝えることになります。
3号記事紹介:「今 伝えたいこと(仮)」相馬高校放送局